スパイとは、敵対勢力などの情報を得る為、合法違法を問わずに敵の情報を入手したり、諜報活動などをする者のことである。

私は幼い頃からそれを仕事にしている。
私の生まれの島は本当に小さな島で、当時疫病が流行っていた。
貧しい島の住民たちはお金がなく、医者に払うお金も、他の島に助けを呼ぶお金も持ち合わせていなった。
例外もなく、私の家も随分と貧しかったため、病気にかかって苦しんでいる父親の代わりに私たち兄妹が働いていかざるを得ない状況だった。

幾分と年の離れた兄は、私が生まれてすぐ出稼ぎに行ってしまったため、物心がついてからは1度も会ったことがない。
しかし、そんな兄の仕送りでは私たちが暮らしていくのがやっとで、父の医療費など払っていけるはずもなかった。
そんな時、私がこう言ったのである。

『わたしがお父さんをたすける!』

無論、幼い頃すぎて私はこのことを覚えていない。
母がこれを聞いた時、涙を流したものだ、と語ってくれたから知っている話だ。
それから私も出稼ぎに出ることとなったのだが、両親と別れる日、タイミング良くいま活動しているスパイ団体のボスと出会った。
身なりに恵まれていた私は、そのボスに「君なら素晴らしいスパイになれる」と言われたらしく、普通に働くよりお金が手に入るなら、と私はその世界に足を踏み入れた。
言われたらしい、というのも、ボスとの出会いや何から何まで私は幼すぎて覚えていない。
全て母からの手紙で知ったことだ。

この世界のスパイは政府側、海賊側、そしてどちらにもつかない者がいる。
どちらにせよ、スパイは行動をしている限り、生まれ育った島に入ること、ましてや肉親に会うとこを許されていない。
情報を漏らさないため、徹底した管理がされているのだ。
唯一許されているのが手紙という通信手段で、相手からの手紙、そして出す手紙はボスにチェックされてから届く。
そんな制度に不満はなかった。
政府や海賊、そのどちらにもつかないスパイをしている私は、どちらかについているスパイをしている者たちよりも、随分と良いお金を貰っているからだった。


あれから13年。
兄と私の仕送りで父の病気は回復し、元気に暮らしているという知らせを受けた私は、ボスの目の前にいた。

「手紙は読ませてもらった。も読んだ通り両親は幸せに暮らしているという」
「はい」
「これも全てがスパイ活動を、私を裏切ることもなく立派に活動してくれていたからだ」
「はい、ありがとうございます」
…君は使命を果たした」
「はい」
「…島へ帰るか?」

私は後ろを向きながら話しているボスの背中を見据えた。
大きくて立派なスーツを着こなしている男性、それが私たちのボスだ。
ボスは幼い私からしたら、父親も同然だった。
なにしろ、本当の両親と暮らしていた時間よりも長くボスと過ごしてきたのだ。
かっこよくて優しくて、そしていつも仕事を頑張っているお父さんなのだ。

「島へ…帰る…?」

私はボスの言葉を繰り返した。
島へ帰ったら、ボスと一生会う事はないだろう。
両親と過ごした方が幸せで、そして危ない毎日から解放されるのは一目瞭然だ。

「あぁ、島へ帰って本当のご両親と幸せに暮らすんだ」
「幸せ…」
「でも、がここにいたいというならずっといてくれて構わない」
「…」
「いてくれた方が私も元気になれるのだけどね」

振り向いたボスの目は笑っていた。
の決心を揺るがせてしまったかな、なんて言いながら笑う。
そのボスの笑顔を絶やしたくないと心から思った。

「…私、帰りません」
「ほう、そうか」
「白ひげの船に潜入します」
「…!」

ボスの願っていた一つの野望、それは白ひげ海賊団を潰すことだ。
いま、世界で一番勢力を増している海賊といえば、白ひげ海賊団で間違いないだろう。
それをスパイを使って潰す、ということは、このスパイ業界で唯一無二の集団ということが証明されることになる。

「万が一失敗したら、は命を落とすことになるぞ」
「かまいません。両親が兄の仕送りでもう十二分に暮らしていけているのです。私が使命を全うしたいま、更なる高みを掴みたいのです」
「…そうか」

ごくん、とボスの喉が鳴った。
少し動揺しているのか、眉毛の間に皺が寄っている。

「では今回のペアは、10年以上前から海軍に仕込んでいるTにする。海軍での名前が彼にはあるからコードネームのTと呼んでやってくれ。」
「はい」
「今回のでんでん虫だ。くれぐれも見つからない場所で月に1回Tに報告をするんだ。私からの指示は全てTにする。はTを通せ」
「わかりました」
「潜入までは私も手伝ってやる」
「はい」
「うまくやるんだぞ」
「…はい!」






そして半年。

あの時ボスは1つの小さな島を壊滅させた。
大きな火事だった。
その火事は山賊がやったことになっており、たまたま(狙ったけど)居合わせた白ひげ海賊団の前で私は父親を失うという演出を魅せた。
戻る島はない、家族も全て失った。
家族を大切にしている白ひげへの最大のアピールだった。

『海に出てみねェか』

ボスよりも大分大きい白ひげの手が私の頭を撫でた時に、やった!と心の中でガッツポーズしたものだ。
潜入は成功した。
何らかの大事な情報を掴んで、白ひげを死に追いやる。
それも成功させなくては、と私は空を見上げた。

「どーしたんだ、空にゃ月しか出てねェぞ」
「星も出てますよ」

今日は宴だった。
白ひげが他の海賊に負けるなんてあるわけないのだけれど、弱小の海賊に勝った時でさえも宴で皆盛り上がるのだ。
いまがそれ。
3番隊が出動して、勝って帰ってきたと思ったら宴が始まっていた。

「空なんて見上げてねェで、こっち向けよ」
「…はい」

見上げていた頭をエース隊長の方へ向ける。
そして、彼の身体に触れるか触れないかのところまで近づき、にっこりとほほ笑む。
私は2番隊隊長の補佐をしている。
なんと2番隊隊長のエースは、かつて世界を牛耳ったロジャーの息子だという。
私は彼を狙っていた。
彼に何かあった時、必ず白ひげは守りぬくだろうと推測していたのだ。

「隊長、飲みすぎですよ」
に言われたかねェよ」
「うふふ、ごもっともです」

半年間、私は必至に媚を売った。
媚を売っているように見えないよう、気を遣ってきた。
その甲斐があり、私は最近エース隊長とちょっと親密になりつつある。
女スパイはその魅力を十分に発揮するべきだ。と言ったボスの顔が脳裏をよぎった。
まずは、エース隊長をものにしてみせる。

「隊長、飲みっぷりいいですねェ」
が飲みっぷりいいからな。倒れても知らねェぞ?」
「その時は隊長が介抱して下さいね」
「しょーがねェなー」
「ふふふ」

私は水滴のついたグラスを手摺りの縁に置いた。
皆酔っ払っていて、好きなことを好きなようにしている。
私とエース隊長は甲板の上、海の見える手摺りに寄りかかって2人で飲んでいた。
いわゆる立ち飲み状態で足が少し痛いけれど、どこに行っても人だらけのこの船で2人の時間を持つためには、お互いどちらかの部屋に行くか、こういう面倒で人が長居したくない所に行くしかない。
後ろではどんちゃん騒ぎが続いていたが、それもあまり気にせず私はエース隊長との時間を楽しんだ。

エース隊長の酔いが回ってきたと思われる頃、私はアクションを起こした。
わざとへなへなとその場に座り込んだのだ。
まるで足の力が抜けていくかのような座り方。

「たいちょ、も、足、やばいです」
「ほら、言わんこっちゃねェ。酒弱いんだからそんな飲むなよ」

呆れた、とエース隊長は言ったが、顔には呆れたなんて書いてなく、彼は座り込む私の顔をニッコリと良い笑顔で覗いた。

「ほら、立てるか?」
「たてません…」

ふと差しだされた手。
その手を持ち、立ち上るががおぼつかない足。
チャンスと言わんばかりに、私は彼の胸に倒れ込んだ。

「しゃーねェな」
「すみません」

そのまま彼は私を軽々しく持ち上げると、私の部屋へと向かった。
ふわふわする身体に、頭の中であとちょっと!と正気を取り戻すべく、自分に喝を入れる。
喝を入れてから、私は彼におやすみなさい、と言った。
ホントに寝ちゃダメ、ホントに寝ちゃダメ、と頭の中で言い聞かせて。

「おいおいおい、女子室は鍵がねェと入れねェのに…」

人気のない女子室の扉の前で、彼は呟いた。

「しょーがねェ…」

彼は方向転換し、自分の部屋へ向かった。
私は正常な寝息を立てながら、心の中で大きくガッツポーズをした。
いける!
そう確信した。
そのうち自室についた彼は、そっと私をベッドの上へおろした。

「酒入ってるからちょっとやそっとじゃ起きねェかな…」

ぶつくさと彼が言っているのに対し、私は必死に笑いを堪える。
エース隊長、かわいいなあ。
…でも次に彼が私に近づいてきた時がチャンスである。
私は薄目を開けて彼のいる場所を確認した。

よし、くる。

彼が私を起こそうとするのを見計らってうっすら目を開けた。
とたん目の前にある彼とバッチリ目が合った。

「あれぇ〜エース隊長ら〜」
「お、おい、?」

戸惑うエース隊長の首に私は腕を回した。

「んん…これは夢…?、エース隊長の夢みてるんだあ」
?寝ぼけてんのか…?」
「夢なら好きなことしちゃおー」

腕に力を込めた。
よし、このまま。

「お、おい…!!!」


私は思いっきり彼の唇に自分のそれを重ね合わせた。


「たいちょ…エース隊長…すき…」











01.唇で撃ち抜くライオン
(今回の仕事も絶対成功させてみせる!)





next back